風俗習慣

2008年4月17日 (木)

鯉のぼりの準備

2008年4月17日(木)ここのところの散歩で、見た、鯉のぼりを。

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これは、16日に、千葉県・市川市で見かけたもの。一枚布ののぼりです。戦国時代の武者がつけていたようなのぼりの原型でしょうか。

近くには、アヤメかショウブも咲いていました。

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回りは、こんな場所。畑の端っこでした。

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こちらは、15日に撮った、柴又の幼稚園の鯉のぼり。

穏やかな晴れだったので、鯉のぼりもだらけています。

隣を京成電車が走っています。

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2008年3月21日 (金)

墓参りで宗教について考える

2008年3月21日(金)お彼岸のの中日(春分)の翌日、父の墓参に行きました。

 Img_557832_3珍しい私の全身写真、父の墓参のスナップから。墓をお願いしていますが、仏教に帰依しているわけではないのです。葛西神社の氏子でもあります。

ちょうど昨日、『miro』さんからのコメントをいただきそのブログへお邪魔して、宗教の項目を見つけました。そこで、長いコメントを書いてしまいました。それを再録させてもらいます。

miroさん、原田です。宗教については、私も、考えさせられます。
 

 誰かが、『日本教』といってましたが、仏教の檀家で、神社の氏子でもあり、クリスマスには教会に行く。しかし、心情的には、無宗教で、洗礼も得度も受けていない。無宗教といっても、日本の国自体が暗黙のうちに『日本教』に入っていて、共産主義国の無宗教とは違い、気分だけが無宗教なのだと思います。神社もお寺も、山の狩猟の神様も、先祖神も、大きな日本教の囲みに入れられて、日本のキリスト教もイスラム教の人も、日本に住んでいる限り、日本人でアル限り日本教の一員なのです。かといって、普段は宗教をまったく意識せず、外国で宗教について聞かれると、めんどくさいので仏教と答えるのです。(だと思います)

 しかし、宗教を意識していないので、自由にいろいろの宗教のことが聞け、結構他の宗教の世界のことを知っています。(ただし、日本語の世界でですが。)反対に、自分の宗教については、無宗教だと思っているので、あまり考えず、無知なのです。たとえば、無神論などについて、相手を納得させるほどの理論武装も出来ていません。

 でも、宗教から支配されない生活は、共産主義国の旧ソ連以上でしょう。日本がこんなに発展出来たのも、宗教に生活が束縛されていないからでしょう。インドなんかは、ヒンズー教(特にカーストという階級制度)にガンジガラメに縛られて、身動きがとれないようです。イスラム世界は、いまだ宗教にドップリで、断食やイスラム暦、お祈り、女性差別が大変です。一方、ヨーロッパは、早くからキリスト教のくびきから解放されましたが、アメリカでは進化論を受け入れない人がいます。韓国もある程度は宗教から抜け出したし、中国も共産主義になって表側は宗教から離れたようです。ただ、中国は、儒教が生活も言葉も政治も支配しているみたいな、特殊な共産主義の国で、日本みたいに『中国教』の国なのかも知れません。

投稿: 原田龍彦 | 2008年3月20日 (木) 16:57

   

2006年1月 2日 (月)

初詣で葛西神社へ

2006年1月1日(日)祝日・元日(年号2005から2006に訂正)

 元旦の遅い朝、地元の氏神、葛西神社に初詣。空は、終日くもり空。夜になって、本州の南岸を低気圧がとおり、関東など太平洋側に雨を降らせました。12月の半ばから、関東は乾燥が続いており、久しぶりのお湿りです。

 

 ここは件の(昨年、2005年9月17日の日記参照)、葛飾鎮守「葛西神社」です。

(葛西神社の鳥居、後ろのイチョウは樹齢百年以上の大木です。)

 

近くの柴又帝釈天(こちらはお寺)は、テレビ中継で大賑わいですが、葛西神社は地元の人だけで静かです。

(時間を戻して、神社の参堂。柴又のように商店はなく、普通の住宅) 

 

それでも、拝殿の前には参拝の人の行列ができていました。大晦日の喧騒と違って、元日の遅い朝は、動きが鈍いようで、行列が長くなってしまいました。

(葛西神社の、参拝者の列。この神社が、私の氏神様にしました。)

 

 参拝者の列の横では、大晦日から続いている御炊き上げの焚き火が、小さくなったもののまだ続いていました。 

 (御炊き上げの焚き火。大晦日には周りをベニヤで囲って10倍くらいでした)

 

 また神社の蔵には、大きな御神輿が収納されています。この御神輿は、江戸時代に俵を毎日担いでいた屈強な農家の若者がたくさんいた時に作られたもので、「千貫御輿」などと呼ばれるもので、非力な現代の氏子にはとても担げない代物です。この、大御輿は、いつもは蔵にしまわれたままです。何年かに一度、たくさんの担ぎ手の助っ人を呼んで担ぎ出されることがある程度です。

(大御輿。蔵には、もうひとつみこしがあり、計2他柱の大神輿を収納。)

 

 さて、初詣でお願いしたことは?

この秋から途絶えがちなブログの日記を、今年こそは充実させることです。

お願いするには、何か「断ち物」をするとよいのですが、何を断ちましょうか?迷っています。結局何を断ったかは、秘密です。では。

 

2005年9月18日 (日)

葛西神社のお祭り

2005年9月17日(土)

今日は、地元の葛飾・金町の「葛西神社」の祭礼。神輿を担ぎに。

 

 この神輿が、とても重いのです。最近、作り直したのですが、軽くはしてくれませんでした。神社のお蔵には、もっと重くて大きい神輿がありますが、担ぎ手をそろえるのが大変なので、めったに出さないのです。

 

葛西神社は、葛飾・金町の氏神様の香取神社です。葛西囃子(かさいばやし)という古くからの祭囃子が伝わっており、これは、神田囃子の元になったものといわれています。

 葛西とは葛飾の西という意味です。葛飾は、江戸時代は、東京の西部から埼玉県の南部千葉県の西部にかけて葛飾の郡(こおり)としてまとめられていました。現在は、北が埼玉県(北葛飾郡)、東が千葉県(東葛飾郡)、西と南が東京都(葛飾区から江戸川区にかけて)に分割されてしまっています。金町は、葛飾の西部なので、葛西と呼ばれていましたが、地名としては葛西が残らず、葛飾区となったのです。現在、地下鉄の葛西駅のあるところは、江戸時代は海の中でした。明治以降の埋めたてで陸になったところで、江戸川をはさんでの対岸の千葉県が東葛飾郡なので、その西ということで新しく葛西と名づけられたところなのです。江戸時代に「葛西」と呼ばれていたのは、金町・柴又あたりです。葛西神社は、水戸街道の渡しのあった金町の江戸川べりに建てられています。 ですから、『神田囃子の元は、葛西の香取神社と伝えられていますが、これは現在の江戸川区葛西あたりの香取神社で・・・・』などと、永六輔さんなども間違えています。

 

 ちなみに、水戸街道の渡しは、現在の常磐線の鉄橋の少し上流にありました。渡しの手前には、染物屋や瓦屋などがあり、「番場の忠太郎」や「一本刀土俵入り」などのお芝居にも出てきます。(柴又の矢切の渡しは、水戸街道の本道から離れたわき街道で、旅人よりも主に江戸川の両岸に田んぼを持っていた農家が利用していたものです。)

 

2005年6月12日 (日)

田植えをしました

2005年6月11日(土)

午前中は、時々小雨。午後は、薄日が出て蒸し暑くなりました。午前中はぐずついた天気の梅雨空でしたが、午後は薄日が出て、東京の最高気温は、25度0分と今日も薄日でギリギリ「夏日」、やや蒸し暑くなりました。

 

 まだ、小雨の残る午前11時過ぎから、「雨水探検隊」の小学生のみんなと、田植えをしました。

  まずは、雑草とり。狭い田んぼは、満員

 

しるしをつけて、移植はじめ。

 

一列目が出動。

 

端から植え始めます。

 

 

もう、半分以上も植えてしまいました。

 

あっという間に、田植えは終了しました。

あとは、成長を待つばかりです。

 

2005年3月18日 (金)

雨上がりの草花

2005年3月17日(木)「菜種梅雨」の天気。昼過ぎまで雨が降りましたが、気温は10度前後で暖かな雨でした。岩谷さんの予報どおり、天気は回復。午後には雨は上がり、南風が吹いてきました。雲は残っているものの、気温はぐんぐん上がり、5時過ぎには16度くらいと、かなり暖かくなってきました。散歩に出たら、上着の下に着込んだセーターのせいで、汗ばんでしまいました。

 

雨上がりの空。薄い雲は残るものの、青空も透けて見えている。

(江戸川の土手から、松戸方面を見ています。)

 

 

散歩の途中では、草花が春を告げていました。

途中の家の庭では、トウのたった葉牡丹(ハボタン)、もう少しで花が咲くでしょう。

葉牡丹(ハボタン)も、菜種(菜の花)の仲間、やはり菜種梅雨の頃に花を付けるのですね。

 

近くのうちの庭でも、沈丁花(ジンチョウゲ)も花が咲いていました。

 

江戸川の土手に来ると、姫踊子草(ヒメオドリコソウ)も咲いています。

(足元の1~2センチの小さな花ですよ。)

 

草花たちは、雨上がりで、生き生きとしていました。

草の葉には、まだ雨の雫が残っています。

 

(散歩コースは、金町から江戸川の土手) 

 

2005年3月14日 (月)

谷中探訪

2005年3月13日(日)朝から寒く、東京の最低気温は、2度7分、真冬に戻った感じ。あまりの空気の冷たさに、天気は不安定となった。午前中は、上空には雲かかり、都内でも、にわか雨やにわか雪の降った所がある。午後は、晴れて青空が広がり、日向は暖かくなった。それでも空気は冷たく、気温は8度前後。夕方日が沈んでからは、再び冷え込んで寒くなった。一方、日本海側は、大雪続く。

 

 今日は、雨水国際会議のメンバーと台東区の「谷根千」を歩きました。

「谷根千」とは、谷中・根津・千駄木のこと。地元の西川哲也さん(NPO法人ひとまちCDC理事長)の案内で、台東・「谷根千」めぐり。

 

(参加メンバーに説明)

(谷中・三咲町のマンション。住民と業者が協力して作ったマンション)

1階正面には、谷中らしい植物が植えてあり、横の通路は穴あきブロックで、雨水を浸透させ地下に戻しています。

(マンション横の、雨水を地面に浸透させる通路は穴あきブロック)

 

次は、初音の森・防災緑地。ここは、スポーツセンターの跡地ですが、環境保全を考えた緑地としてよみがえらせるように準備中。

 

ここは、私道の路地の端のアスファルトをひっぺがして、土と緑の地面を取り戻したところ。道の舗装を全部はがしてしまうと、ぬかるんだり、車椅子などがとおりにくくなってしまうので、両端を地面に戻し、排水と緑の復活を両方を目指しました。

3年ほどたって、樹木も大きくなり、谷中しょうがなども植えられ、住民みんなが楽しんでいる。小さな緑地でも、隣同士でつながっていけば、生き物の行き来する道となることができるのです。

 

 

(Nさんちの井戸)今でも、おいしい水が飲める井戸。水温は15.5度と、冬は暖かく感じます。

「谷根千」では、たくさんのお寺が樹木などを保存してくれているのだが、今日はお寺以外のところを載せました。

路地やマンションなどでも、住民が協力して緑と自然を守っているのです。

↓お天気実験動画↓

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